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ビッグリターンズ
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「ロックミュージシャンという
         
生き方の選択


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初めて会った坂田“鬼平”伸一氏  



Photo by 朋 -tomo-







鬼平さんがいてくれて良かった


ロック初心者の私が博多ロゴスで初めて鬼平さんのドラムに出会った。
それはリハーサルだった。「は!」という衝撃だった。
大きな身体で長い手足で、とにかく気持ちよさそうにリズムを満喫している。イッタイ、コノ人ドナタ? 音楽の事は全くわからない。だけどこの音はやばい。とたんに自分の中に直感がよぎった。そうか、博多ってそういう場所なんだと思った瞬間だった。

超高身長でニット帽のこの方は、あの伝説のバンドといわれる「サンハウス」の名ドラマー・坂田伸一(鬼平)さんであった。

まずライブハウス近所のカフェでお話を伺う。
物腰がとても柔らかい。このようにギターやボーカルの後ろにどっしりと構え、すべてを笑顔で受け入れながらリズムを切っているのだろうか。話しの合間に見え隠れする音への自信が、聞いていて非常に心地よい。ビールをおいしそうに飲むその姿は、人生の醍醐味を大きな身体でひしひしと受け止めているようだ。途中、話の流れで指を使ってタカタカってリズムを叩いてくれたりするとドキリとする。あ、そうだった。さきほどのリハーサルのやばいドラムのご本人なんだと。

鬼平さんが、音楽をやめた頃から音楽を再開するまでの時代のお話も伺った。その結果、彼が出した答えはシンプルであった。「音楽が好きで好きで仕方がない。お金も生活もなんだか分からない。ロックがいいんよ」私の目の前でドラムの巨匠が笑顔でそう言い放つ。こんな感動はない。身体の中から幸せを感じた。もう、これだけでいい。人生の選択をいくつも乗り越えて、いろんな想いを抱きしめて、音楽のレールに戻ってきた。10代からドラムで食べてきた彼の人生の時間は、どんなに波乱でハードだったろうと思いきや、今目の前にいるご本人は至って柔らかい。一般人の自分でも、共用する事ができた鬼平さんの人生の選択の結果。知れば知るほどきっと鬼平さんの人生に自分を重ねる人は多いと思う。

「この間、柴山さんに叱られちゃって…」平然とそんな事を口にする。お酒を飲み過ぎて叱られたのだそう。「ありがたいよね」。10代からドラムを叩き続けてきたロック少年は2010年に還暦を迎える。「今でもマコちゃん(鮎川誠さん)が仲良くしてくれるんで」と恥ずかしそうに語る。彼らとの演奏を実に楽しみにしているようだ。長くお付き合いが続く仲間の存在を持つ事を非常に羨ましく思える。

「だって東京は焼酎高いやろ」博多で暮らす事に何の疑問がなく、音楽と仲間たちに囲まれて暮らしている鬼平さん。次から次へと携帯電話が鳴る地元の人気者は、なかなか博多から出られそうにない。「来年は新しいバンドでね、若いミュージシャン達とね、新しくアルバムつくりたいんよ」夢は続く。「熊本にいい若いバンドがおるんよね」

私は自分がもしもロックミュージシャンだったならば….と考えてみた。きっと鬼平さんの存在に深く感謝する。是非意見を聞いてみたい。「こういうのどですか?」と、ギャギャギャギャーと聴かせてみたい。「違うやろ、ほりゃ」と夢の会話がしてみたい。



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